不景気から企業が採用数を減らす、いわゆる就職氷河期の頃に就職活動をしていた。そのため、両親に心配をかけないような仕事に就くことをまずは考えた。また、どんな仕事をしているかが想像できることも大切なポイントだった。企画や営業よりも、接客や店頭で応対するような仕事の方が、働くイメージがついた。さらに、地元の神奈川からも離れたくはない。こうした理由から金融業界、とりわけ地方銀行や信用金庫を志望した。
さまざまな金融機関の中から、神奈川銀行を選んだ決め手は、正直に言ってしまうと内定が出たからだ。当時の就職難を考えると、それだけで入行するには十分な理由だった。そうして一般職の窓口係として、茅ヶ崎支店でキャリアをスタートする。1年目の頃は、ミスばかりする新人だった。書類に印鑑を押し忘れたり、お客様の名前が呼べずに間違えたり。数字の桁を間違えて手続きをしてしまったこともある。「とにかくよく注意されていましたね」と風間は当時を振り返る。
大雑把な性格は、細かい事務的な作業が多いこの仕事には向いていないかも知れないと思うこともあった。しかし、接客は楽しかった。お客様と話しながら、定期預金などをおすすめし、「風間さんが言うなら、やろうかな」と言ってもらえるのが嬉しかったのだ。憧れの先輩の真似をして、トークを工夫したりもした。そうして、お客様に顔を覚えてもらい、信頼してもらえた結果が成果になる。この仕事の醍醐味を経験するうちに、業務にも慣れ、徐々にミスは減っていった。
入行後4年間を茅ヶ崎支店で過ごし、高村支店に異動。入行7年目に結婚をして第一子を授かり、1年間の産休を取得した。当時は出産を機に退職する行員が多くいたものの、家庭に入ってからも経済的に自立したほうが良いという母のアドバイスを受け、復帰することに。会社から「ぜひ復帰してほしい」と言われたことも、背中を押した。