ただまっすぐに仕事と
そしてお客様と向き合ってきた

キャリア・
ストーリー 1

Career Story 1
総合職
Tomotaka Matsumura
融資渉外
2006
年入行
法学部 卒
本店営業部 副部長
神奈川県 横須賀市 出身
STORY 1
ようやく根を下ろせた神奈川で、
働きたいと思った。
 就職活動をはじめた頃は、特にやりたいことはなかった。そのため父や姉が金融業界に勤めていたという理由で、自分も金融業界を志望することに。幼い頃から父の転勤で引越しを繰り返し、友だちができずに苦労した経験がある。自分が家族を持つことも考えて、転居を伴う転勤がない企業に行きたい。そんな考えから、地元である神奈川県の金融機関を受けることにした。

 小学生の頃に4度の転校を経て、落ち着いたのが横須賀。そこで高校時代までを過ごした。引っ越しを繰り返して出会った、地元の神奈川に貢献したいという想いもあり、さまざまな地方銀行や信用金庫の選考に参加する。その中で最初に内定を出してくれたのが神奈川銀行だった。タイミングもまた縁だと感じたこと。また穏やかな人が多い印象もあり、「ここなら自分でもやっていけそうだ」と考えて、入行を決めた。

 入行1年目に配属されたのは横浜橋通支店。そこでは出納係として預け入れや払い出し、両替などで出入りする店舗内のお金を、常に適切な金額に保つための管理をする業務を担当していた。金庫からお金を出し入れし、ATMや出納機械に補充する。また、伝票作成や締め作業も重要な業務だった。締め作業では早く全員が退勤できるよう、その日に動いたお金と店舗内のお金の総額を迅速に確認しなければならなかった。振り返ると、この時に次の段取りを考えながら業務を進める姿勢が身についた。

 そうして出納係の仕事にも慣れてきた頃、他の支店では同期が営業に出たり、融資の案件に携わったりし始めたことを耳にする。しかし、自分にはまだその機会が与えられない。同期を羨ましく思うこともあったが、それでも焦ることはなかった。自分がその時に任された役割をきちんとこなすこと。それが大切だと考えて業務に取り組んでいた。
STORY 2
できない理由は考えない。
とにかく与えられた役割を全うする。
 転機になったのは2年目のこと。ようやく融資課に任命されたのだ。しかし、担当するお客様はいないため、電話をかけてアポイントを取り、まずは会ってもらうことから始める。断られることは多かったが、「企業は星の数ほどある」と前向きな気持ちで、どんどん電話をかけていた。そうしてアポイントを獲得したお客様のもとに訪問し、業況やニーズなどをヒアリング。お客様に聞かれてわからないことは支店に帰って調べ、その日のうちに返答した。経験が少ない分、行動量とスピードで解決する。そんな想いで、やはり自身の役割を全うしたいと考えていた。

 その姿勢はお客様からも徐々に信頼を得られるようになる。何度も通ううちに悩みを相談してもらえるようになり、こちらからもさまざまなご提案をした。単純にいろいろな業界の話を聞くのが楽しかったし、頼ってもらえるのが嬉しかった。そうして気付けば、半年で8件の新規案件を獲得していた。当時、一人あたりの新規獲得案件数は多くても3件ほど。新規開拓1年目ということを考えると、十分すぎる成果だった。

 3年目にはさらに新規開拓を進めてもらいたいという会社の意向から、渉外課に。職種は違ってもやることは同じ。電話をかけて訪問を繰り返す。そうして顧客となった企業は担当としてお付き合いしつつ、新規開拓を継続する。6年目には法人の新規開拓を専門に行う部署に抜擢された。得意なことを活かせる部署に選ばれたからこそ、そこでもきちんと結果を出したい。そんなプライドもあって、とにかく電話をかけてお客様のもとに通う日々を送った。

 その後8年目に本店営業部へ異動する。この頃になると、新規開拓や営業にはある程度の自信がついた。けれど、自分のキャリアを振り返った時に、営業以外の業務も経験すべきだと思った。そこで、11年目に融資課への異動を志願する。そうして、当時7年目には部長代理(係長クラス)となっていたことから、本店営業部の融資役席として異動することが決まった。
STORY 3
自分の仕事は、自分だけの仕事
ではないと気づいた。
 融資役席の業務は多忙を極めた。融資を申請する稟議書の作成や部下が作成した書類の確認。また融資を決定するための会議への参加や融資の返済が滞っている企業の管理も任された。さらに、そうした業務と並行して新規開拓も継続する。渉外課と兼務したのだ。時に融資課として、時に渉外課として顧客のもとへ訪問する。それまでは1日の予定をある程度、自身でコントロールできたが、部下の指導や支店全体に関わる業務までこなすようになると、自分だけでは管理しきれない事態に陥りはじめていた。

 自分の仕事はきちんと自分でやりきる。それをモットーとしてこれまで業務を行なってきたが、ついに首が回らなくなってしまい、周囲に助けを求めることに。上司に相談をして、事務作業を同じ課のメンバーで割り振り、対応してもらえるようになる。そうして、ようやく自分の業務に優先順位をつけることができるようになった。

 同僚たちがさりげなく書類を確認してくれたり、助けてくれたりする。その姿に自分は大きな勘違いをしていたと気付いた。それは、これまで自分の担当だと思っていたお客様は、すべて神奈川銀行のお客様なのだということ。だからこそ、行員同士が助け合うことで、それぞれの対応品質を高めることが重要なのだと考えるようになった。組織全体として、より地元から信頼してもらえる銀行を目指す。そのために自分が部下をサポートするのだという意識が芽生えた。
STORY 4
企業の命運を左右する。そこに、
大きな責任とやりがいがある。
 融資役席として4年ほど勤務した後は、審査部へ異動する。審査部は支店が申請してきた融資案件を審査する部署。融資に対する銀行側の考えや姿勢を学ぶことで、お客様への提案の幅が広がるという会社の意図による異動だった。事実、支店全体の融資案件を見ることで、自分の案件を見るだけではわからなかった、さまざまな事例を学ぶ。どういった金利や返済計画、条件なら融資ができるのか。またできないのか。その場で判断できるようになった。

 審査部で得た知見を営業現場に浸透させるべく、現在は本店営業部 副部長として勤務する。変わらず自身でお客様を担当しながら、日々部下たちを指導している。振り返れば、営業という仕事を全うしてこられたのは、さまざまな業種業態の経営者様の話が聞けること。そして、信頼関係を築きながら、企業の成長をサポートできることに醍醐味を見出してきたからだ。自分と同じようなやりがいを部下たちにも感じてもらいたい。そんな想いで今、彼ら彼女らと向き合っている。

 近年、銀行は融資だけでなくコンサルティングとしての役割が求められるようになった。それは、銀行ならではのネットワークを使って、顧客同士のマッチングはもちろん、税理士や建設会社といった協業パートナーを紹介するなど、お客様のビジネスをより良くするための支援活動が求められているということ。そういったサポートをすることで、地元の誰もが知る企業や、馴染みのある企業に貢献できるのが神奈川銀行の仕事なのだ。

 「部下たちには、社長さんがその会社をたたむか、手放すか、事業承継といった重要な相談までしてもらえるような銀行員になってほしい」と松村は語る。企業の命運を共に決めていく。そこにこの仕事の責任と醍醐味がある。今まさに過渡期を迎える銀行業界において、これからも地元のための神奈川銀行であり続けたい。そのためにも、まずは自分が部下たちに背中を見せ、そしてサポートをしていきたい。彼ら彼女らにも、自分が感じてきたような顧客から信頼される経験をしてもらえるように。